TopCapS WEVENRY|上から見てわかる調味料キャップ TopCapSを見てみる

トップ/開発者の想い

開発者の想い

調理をしている人を観察する立場だったから、気づけたのだと思います。多くの人がアタリマエに行っている、無意味な動作に。

TopCapS 発明者・WEVENRY 代表 堀内 宗喜(ほりうち むねよし)の、開発のものがたり。

WEVENRY代表・堀内宗喜。電動車椅子に乗ったスーツ姿のポートレート

堀内 宗喜(ほりうち むねよし)|長野県長野市

経歴

012000年建築事務所で施工図(AutoCAD)の作成。銀座の300席を超える居酒屋で、1年でホール統括を任される
022002年22歳のとき、交通事故で首から下が動かなくなる。1年半の入院
032015年長年使用していた車椅子を乗り換え、単独行動ができるようになる
042020年長野市街で一人暮らしを始める
052025年TopCapSで特許を取得(特許第7672559号)
06いま長野市の自社工房で、発明から製造・仕上げまで一貫して手がける

このページは、私が自分の言葉で書いています。少し長いです。
調味料のフタひとつに、なぜ3年かかったのか。その前に何があったのか。よければ、最後までお付き合いください。

01

見ている側だった

食事の調理はヘルパーさんにお願いしています。常に10名ほどの方が入れ替わりでわが家のキッチンに立ってくださり、私はそれを毎日、車椅子の上から眺めていました。

そんなある日、ふと気づきました。誰もが引き出しを開け、瓶を持ち上げてはラベルを確認するという、無駄な動きをしていることに。目当ての調味料が見つかるまで、その動作は何度も繰り返されます—。醤油1本を取り出すたびに発生する、あまりにも不毛な時間。

けれど、誰ひとり文句は言いません。「そういうものだ」と受け入れているからです。私自身、最初はただ流して見ていました。しかし毎日観察を続けるうちに、確信へと変わります。「あの動作には、何の意味もない」と。

さっそく課題解決に動き出しました。市販のシールを調べたものの、調味料を使い切って瓶を捨てるたびに新しいものを貼り直す必要があるので美しくない。かといって、別の容器に詰め替えるのも自分の美学に反する。どこを探しても納得のいく製品はありませんでした。「どうにかできないか」という問いが、半年ほど小さなストレスとして頭に居座り続けました。

答えはある日突然 降ってきます。「瓶ではなく、繰り返し使えるキャップ側にラベリングすればいいんだ」

そう閃いた瞬間から、私の開発が始まりました。

02

2002年、22歳

少し前に戻ります。

子どもの頃の夢は、大工でした。キャンプに行けば誰に言われるでもなく、黙々と火の番をしているような子ども時代。家には父が集めた1万冊もの漫画があり、物語の世界に没頭している時間が好きでした。手を動かして何かを作ること、そして物語の世界に潜り込むこと。振り返れば、そのふたつの原体験がそのまま今の私につながっています。

働くことの楽しさを知ったのは、高校3年生の時に始めた居酒屋のアルバイトです。時はまさに長野オリンピックの年。店内は連日多くの人々でにぎわい、海外から訪れるお客様も多くいました。「いらっしゃいませ!」と声を張るだけで褒められ、見知らぬ誰かと会話を交わす面白さに夢中になる日々。毎日のようにシフトを詰め込みました。人と接する喜びの原点は、間違いなくあの場所にあります。

建築の専門学校を卒業後、建築事務所で施工図を引きました。その後、銀座の居酒屋へ転職しホールを担当。一年が過ぎる頃には、300席を超える大型店舗のホール全体を統括する役割まで担うようになっていました。2002年、バイク便の仕事に就いて間もなく、交通事故にあいます。頭蓋骨が首から抜け、本来なら生きているのがおかしいほどの重傷でした。

意識が戻っても声が出ない。体は微塵も動かず、息をすることすら自分ではできない。

当初は脳挫傷の影響もあり、自分の置かれた状況すら理解できませんでした。状況がわかるようになってからも、体は依然として動かない。「頑張れ」と言われても、その「頑張る」ことすら叶わない歯がゆい日々。入院生活は、一年半におよびました。あの日々があったからこそ、今の私は確信しています。努力できること、もがけること— それ自体がどれほど幸せなことか。どんな試行錯誤も「もがき楽しむ」。それが私のいちばんの強みです。

03

もう一度、自分の意思で動く

退院後の十数年は、実家で「活動的な障害者」として過ごしていました。転機が訪れたのは、2015年の終わりのことです。現在 愛用している電動車椅子と出会い、即購入を決心。これにより、ひとりで外へ出れるようになりました。一人の人間としての自立を、自らの手で掴み取った瞬間でした。

2020年には一人暮らしを開始。スマート家電の力を借りながら、生活のすべてを自分自身で組み立てていきました。この暮らしがなければ、間違いなく「TopCapS」は生まれていません。毎日関わってくださるヘルパーさんが、少しでも気持ちよく、スムーズに作業できる環境を作りたい。その「おもいやり」があったからこそ、あの小さな違和感に気づくことができたのです。

また、長野市には車椅子の利用者が2人以上いる団体へスロープ付き中型バスを貸し出す福祉制度があります。私はこれを活用し、毎月バスツアーを企画・主催しています。ツアーで出会った仲間に声をかけ、新幹線で行く富山旅行を一から手作りしたこともありました。行き先も立ち寄る店も、すべて自分でプロデュースする手探りの旅です。利益など一円もありません。それでも、参加した全員が「楽しかった!」と笑顔で喜んでくれる、それこそが私にとって最高の報酬でした。

自分自身も全力で楽しみ、そして周りの人も楽しませる。関わる全員が笑顔になれる場所を作ること— それこそが、私のすべての原点です。

04

作っては、使ってもらう

開発で何より大変だったのは、「自分自身で試せない」ことでした。設計したものを、自らの手で実際に使って確かめることができないのです。だからこそ、「作っては使ってもらう」を繰り返すしかありませんでした。ヘルパーさん、友人、親族、、、使ってくれた人の感想だけを頼りに、頭の中で何度も構造をこねくり回しては改善し、また試してもらう。その繰り返しの日々でした。

3Dプリンターの技術はすべて独学で習得しました。ボツになった試作品は、気づけば段ボールひと箱分に。出願後も決して妥協せず、開発を続けました。丸みのあるフタでもグラつかないよう裏側に「くぼみ」を設ける—。どんな形状にも密着させるこの技術を新たに考案し、特許技術の核となる追加出願へとつなげました。

形になるまで、要した歳月は3年。時間も、資金も、思考力の限界までも、持てるすべてを注ぎ込みました。そして2025年夏、無事に特許(第7672559号)を取得。誰にも評価されないかもしれないという不安の中で、国に認められた気がして、胸が熱くなるような嬉しさが込み上げてきたのをよく覚えています。

起業届を提出したのは、2024年2月15日。特許出願こそ終えていたものの、経営体制も資金調達もまったく追いついていない完全な見切り発車でした。けれど、この日付だけは譲れなかったのです。22歳で事故にあった私が、ちょうど22年後の同じ日に踏み出す。「後々の語り草になるはずだ」という、自分なりの美学でした。その決断ゆえに、現在は創業支援の枠組みから外れてしまう不都合もありますが、それもすべて納得のうえで受け止めています。

その後、プラスチック部品の量産に向けて金型を製作し、専門の成形会社へ製造を依頼。自社工房には新たにUVプリンターも導入しました。アイデアのひらめきから設計、製造、そして最後の仕上げまで。今ではここ長野市の自社工房で、すべてを一貫して手掛けられる体制が整っています。

「あきらめる」という言葉は、私の辞書にはありません。高校受験のとき、合格ラインに100点届かず、担任だけでなく教頭先生までが受検を説得にきたことがありました。それでもあきらめず、4ヶ月間 徹底的に計画を立てて努力を重ね、見事に合格を掴み取ったのです。前例がなくても、道が拓けていなくても、周りから「無理だ」と言われても、決めたら最後までやり抜く。その生き方は、あの頃から何ひとつ変わっていません。

袋ごとに分けて並べられたTopCapSの試作品。文字も色も少しずつ違うキャップが机いっぱいに広がる

ボツになった試作品たち。3Dプリンターで刷っては使ってもらい、直してはまた刷る。気づけば段ボールひと箱分になっていた

出荷を待つTopCapS。種類ごとに引き出しへ分けて収めたキャップと、袋詰めされたセットが並ぶ自社工房

出荷を待つTopCapSたち。種類ごとに引き出しへ分けて収め、セットごとに袋へ詰めて送り出す

05

なくてもいいけど、あったら便利

「TopCapS」は、なくても困らないかもしれません。けれど、あれば確実に生活が少しだけ楽になる。私は、そんな「あったほうがいいもの」を形にして世に送り出しました。

私自身の存在も、きっと同じなのだと思います。私がいなくても、世界は変わらず回っていく。それでも、「いてくれてよかった」と思ってもらえる存在になれるはずだと信じています。

製品のコンセプトと、私の生き方。そのふたつは、まったく同じ形をしているのです。「美しく生きたい」—それが私の生き方の芯です。

TopCapSは、使い捨てのシールではなく、繰り返し使えて、並べたときに美しく、洗練された可愛さがある。製品に込めたそのこだわりはすべて、私の芯から自然と滲み出た「使い続ける美学」そのものです。

TopCapSは、「障害者が作った福祉用品」ではありません。障害があったからこそ気づけたアイデアであり、すべての人に寄り添う、これからの「新しいスタンダード」になると信じています。

06

初めて、認められた日

開発を始めてからずっと、誰にも見向きもされませんでした。特許を取得できたときも、客観的にみれば「機能と技術に新規性があった」という証明に過ぎません。

転機となったのは2026年、長野放送からの特集取材の依頼でした。電話を切ったあと、一人 涙が止まりませんでした。これまでの泥臭い試行錯誤や、誰にも言えずに抱え込んできた葛藤が一気に溢れ出したのです。自分の存在と情熱が、初めて世の中に届いた —そう実感した瞬間でした。

その後、信濃毎日新聞、長野市民新聞、読売新聞、中日新聞でも取り上げていただきました。クラウドファンディングでも目標を超えるあたたかいご支援をいただき、ひとつずつ、確かに世の中と繋がっていく手応えを感じています。四肢麻痺である私が生み出したものが、どこかの誰かの暮らしをほんの少し便利にしている。それは私にとって、幸せの極みです。

この活動を通して、「不可能なんてない」ということを証明し続けたい。「四肢麻痺」と「ものづくり」—本来なら最も遠い場所にあるふたつを結びつけ形にしていくために、私は今日も挑み続けます。

これまでの歩み

  1. 2000建築の専門学校を卒業。建築事務所で施工図(AutoCAD)を引く
  2. 2002銀座の居酒屋で、300席を超える店のホール統括を任される。バイク便に転職してすぐに交通事故。22歳
  3. 20031年半の入院を経て退院。長野の実家で暮らす
  4. 2015いまの電動車椅子と出会い、即購入。ひとりで外出できるように
  5. 2020一人暮らしを始める。ヘルパーさんの動作を毎日見る暮らしから、TopCapSの着想へ
  6. 2024事故から22年後の同じ日に、起業届を出す
  7. 20253年の試作を経て、TopCapSで特許を取得(特許第7672559号)
  8. 2026成形会社とのお付き合いをはじめ、UVプリンターを導入するなど増産体制を整える。新聞・テレビで紹介。8月、はじめてのクラウドファンディング(CAMPFIRE)が目標の154%で成立。支援総額463,900円・支援者74人(プロジェクトページ)。11月、一般販売を予定

障害者が作った福祉用品ではなく、
障害があったからこそ気づけた、
すべての人に優しい未来のスタンダード。

私がこれからの人生で届けたいのは、TopCapSだけではありません。
障害のあるなしにかかわらず、人はどんな状態からでも、挑戦すれば未来を切り拓ける。その勇気と、その証明です。
自分の可能性に蓋をしている人、前例のない壁の前で立ちすくんでいる人へ。
人の可能性は、無限です。

幸せを感じるのは、爽やかな日に車椅子で歩き始めるとき。美味しいものに出会ったとき。一日を全力で生ききって、くたくたになってベッドに移ったとき。
そんな毎日の中で、TopCapSを作っています。

WEVENRY 代表 堀内 宗喜

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